僕の話には興味ありませんよね。

自分が思ってるほど人は自分に興味がない。

刺激欲しがり症候群

いつだったか、だいぶ前の話だけれど話しの流れで、冗談で有希さんから「リヤカーでもう一回周る?」なんて言われたことがあって、心の内ちょっと本気で「それもアリだな」と思ってしまう自分がいてちょっと怖くなりました。

 

 

旅の途中から「二度とリヤカーなんて引きません!!」って笑い話のように冗談で言っていたんですけど、その時は確かにこれっきりだと思っていました。

 

 

本当に楽しくて刺激的で充実した毎日だったんだけど、それが1年を超えるとどうしても慣れてしまって、”慣れ””飽き”のように感じてしまう時間が多くなりました。

 

 

そもそも人間は慣れてしまう生き物

僕らはストレスを感じるという表現を使う時、どうしても負のイメージで考えがちだけど、ストレスっていうのは嬉しい出来事でも感じるものなんですよね。

 

例えば「誕生日にサプライズをしてもらってめちゃくちゃ嬉しかった!」っていうのもストレスだし、「新居に引っ越して新生活にワクワクしてる」っていうのもストレス感じてるんです。気付かぬうちにですね。

 

それに加えて、一般的に言われる仕事だったり人間関係だったり、うまくいかないことのストレスも感じるんですから人間って難しい生き物です。

 

そんな難しい人間の心なんですけど、僕らの心って上手いことできてて、そういう外からの刺激に対して慣れる”ことでストレスを軽減していらと思うのです。

 

だから本来、精神的な部分に言える”慣れ”っていうのは防衛本能のはずなのに、僕らは楽しい刺激的なことが連続して慣れてしまうと”新たな刺激”を求める傾向にあるんじゃないかなって思うんです。

 

もっと楽しいことがしたい!

もっと成長できる環境に身を置きたい!

 

って感じですね。本当は環境を変えなくても、自分が変われば受け取り方も成長速度も変えられるはずなのに。もっとそこで得られる刺激もたくさんあるはずなのに。

新しい環境に身を置くことこそ刺激であると錯覚しているのでは…

 

 

 そんなことを感じて不安になる

僕は近い将来お店を開きたい。お店を始めたら僕はずっと同じ場所にいます。

旅をしていた時のように場所を変えることが出来ないのは当たり前。雇われて働いている時のようにすぐに職場を変えることも出来ません。

だから今の僕の生活は、今いる環境でどうやったら刺激的な毎日を送ることが出来るかがとにかく課題です。

 

身の回りで起きること全ては自分次第。

そうやって生きてきたし、今後もそうやって生きたいのだけど、いつも自分が動くことで解決してきた課題をどうやったらあと一年この場で解決できるのか全く見当もつかない。

 

 

さぁどうしよう。

 

 

それを考えることを楽しみに変えるのが一歩目でしょう。たぶん。知らんけど。

 

はぁ楽しい。