僕の話には興味ありませんよね。

自分が思ってるほど人は自分に興味がない。

大切なことは身体に染み込んでるって話

やまんです。

 

今日はですね、奇跡のようなことが起きたのです。

 

埼玉からお客さん(A君)がきたんですけど、彼は元々お店を知っていて何度か来てくれたことがあったようです。

今日は東京に住むという友達(R君)を連れてきてくれました。

 

二人と初めまして〜ってしてA君と共通の友人の話をしているとR君が突然

 

「え?!自転車とリヤカーで日本一周してたんですか?」

 

と聞かれました。いつものことなので「そうなんですよ〜」と話を続けようとすると、

 

「僕、日本海側で見たかも…」

と言うではありませんか。

 

 

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1年前、旅中に東京に帰ってきて、一ヶ月高円寺で働いた後、10月17日に秋田から再出発して日本海側を南下して関西に向かっているときのこと。

 

山形だったか新潟だったかは定かではないんだけど、峠の坂道を登るのに必死で、下を向いたまま死にそうになりながら自転車を漕いでいました。

 

ふと気配を感じて顔を上げるとすぐ目の前に坊さんの格好(托鉢をするときの格好)で歩いてる人がいたんです。

 

頭には傘を、背中にはまるめた銀マットを刺したバックパックを背負っていました。

普段ならどこから来たんですか?などと声をかけるところでしたが、この時は道も狭く、坂道を必死に登っていたこともあってお互いに「どうも」という一言だけですれ違ったのでした。

 

僕にとっては坊さんのような格好をした若い人を見るのは珍しかったのと、坊さんがバックパック背負って、しかも銀マットを持ってる(=野宿をしている)というのが衝撃的だったのでよく覚えてます。

 

 

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坊さんみたいな格好して傘かぶってましたよね?

 

「はい、僧侶なので」

 

「リヤカーの後ろになんか絵が描いてありましたよね?日本一周とか」

 

はい、水色のリヤカーです。

 

 

……

…………

 

 

 

「「あの山道ですれ違った人だ!!」」

 

 

エンダアアアアアアアイヤアアアアアアア

 

とホイットニーヒューストンが流れ出しそうな運命的な再会

 

いや〜これはすごいです。お互いの素性も全く知らず、本当にすれ違っただけなのに、まさか東京で再会してしまうとは……。

 

いろんな再会をしてきたけど、これは鳥肌ものの再会です。

 

それで今日書くことは急遽変更。

 

大切なことは心も頭も体も僕の全てが覚えてる

僕は旅中のメモはあんまり意識的にとってなくて、「大切なことは心が覚えてるから大丈夫」ってスタンスで生活をしてきました。

写真は記録ではなくブログ用や宣材写真のつもりで撮影していました。

今書いている日本一周ブログも記憶を辿って書いています。

 

でも、なんかぼーっとしてたら、ふと「あ、こんなことあったな〜」って昔のことを思い出すこととかってありませんか?

 

そんなこと思い出そうともしないようなことの記憶がふと蘇ることがありませんか?

 

僕はたまーにあるんです。

 

それを思い出すことが何かの暗示だとか、そんなスピリチュアルな話なんてしません。

ただ僕は僕の経験してきたこと全てが体の中に染み込んでいて、心も頭も目も耳も鼻も手も足も…体全部でそれを覚えているんじゃないかなって。

 

嬉しいことも、悲しいことも、辛いこともたぶん全部身体に染み込んでる。

普段は忘れてしまっていて、思い出そうと思って頭で意識しようとしても、意識すらできないような記憶も含めて、全ての経験が今の僕を作ってる。

 

 

何気なく過ごしてしまっている毎日だって未来の僕を確実に作ってる。

 

 

今日の出来事は経験が身体に染み込んでるって話とはちょっと違うかもしれないけど、きっとそんな経験はどこかでなにかに繋がるかもしれません。

 

 

 

僕の2016年10月19日は、2015年の10月の何日かにあの山道で坊さんとすれ違っていなかったらこんな感動的な日にならなかったわけだから、本当に何がどこで繋がるかわからない。

 

そんな出来事をついさっき経験して、もっと毎日を、もっと目の前の人を大切にしようって思いながらも、明日からはきっと何気なく1日を過ごしてしまうんじゃないかなって思ってます。

 

でも大切にしようって思えたのはきっと僕のどこかに染み込んでるから、今この素敵だな〜っていう感情もきっと無駄にならないと願っておやすみなさい。

 

 

嗚呼、水曜日に書きたいのにまた木曜日。