僕の話には興味ありませんよね。

自分が思ってるほど人は自分に興味がない。

25歳のぼっち学生が学生生活をエンジョイし始めた話

やーまんです。のむです。

日本一周ブログの途中ですが、同時進行で旅とはあんまり関係ないブログ始めます。

とは言うものの、今の僕の大学生活は旅の経験抜きには語れませんので、旅の話がすこし絡みます。

 

そんで、僕は毎週水曜日に書きますね。

 

と言いながら木曜日になっちゃった……。

 

 

まあ何にも縛られず、好きなことを思うがままに書こうかなって思います。

 

 

僕、復学しました

僕のことを知っている人は知っていると思いますが、僕は25歳で大学生です。

浪人して大学に入り、勉強しなかったせいで留年し、さらには休学して旅に出ました。

ここまでくると残るは中退か卒業のどちらかですが、卒業することを選びました。

 

f:id:knmr50:20160920155141j:plain

こんな感じで自転車にリヤカーをつけて旅をしていました。

 

f:id:knmr50:20160920162226j:plain

街で無許可の立ち飲み屋を営んで生計を立てながらの1年2ヶ月は刺激的な時間でした。

 

 

さて、ずーーーーーっと中退したいと言い続けていた僕ですが、旅から帰った1ヶ月後、結局は大学に復学したのでした。

 

 

大卒という資格

大学を辞めたいという学生に多くの人は同じことを言います。

 

  • せっかく入学したんだから卒業しておきなよ
  • 大卒って資格みたいなもんだからもらっておきなよ

 

みなさん他にも色々言ってくれましたが、この二つはとにかくたくさん言われます。

大卒ってだけで見る目が変わったり、中退ってだけで信頼が薄れたりするみたいです。

そんな偏見は日本では脈々と受け継がれていて、高校は神奈川県の進学校に通っていた僕はそんな風潮が「嫌だ嫌だ」と思いながらも多少はそんな偏見に染まっている気がします。

 

それでも僕はそんな資格はいらないと思っていました。

なぜかと説明すると長くなるから省きますが、とにかく大学に通いたくなくなっている僕を再び通わせるには「大卒の資格をとる」というだけの理由では足りなかったのです。

 

1年半も資格のためにくそつまんねー授業を受けるの苦痛だし時間の無駄だって思っていたのでした。

 

 

思わぬ形で大学が楽しくなった

そんな思いで復学した僕ですが、一応本気で卒業するつもりはありました。

親と「卒業する」と約束して旅に出ていたのでそれは守るつもりでした。

復学初日。なんとなく興味がありそうな授業や、興味はないけど取らなきゃいけない授業を組み合わせて時間割を作って出席します。

 

法律系の授業、金融についての授業、経営学、地理学の授業。

色んな授業を選びましたが、あとで自宅での無駄な勉強時間を作らないように真面目に授業を聞きました。

 

するとどうでしょう。思いの外楽しいんです。

今まで何のためになるかもわからず、卒業という資格取得のためだけに通って聞き流していた授業がすっごく楽しかったのです。

 

この感覚は旅での副産物のような物でした。

 

 

知識と経験が繋がるのを感じた

旅中には一人の時間がとても多く、色んなことを考えてきました。本当に色んなことを。

 

シャッター街を目の前にして「どうしたらこの街に活気が取り戻せるんだろう」とか。

日本って狭いと思ってたけど、狭いなりにも多様性があってめちゃくちゃ面白いとか。

地域性ってあるんだな〜とか。

彼女の誕生日プレゼント何にしようとか。

どうやったら経営がうまくいくかなとか。

たまには自炊で揚げ物したいなとか。

 

他にもたとえばリヤカーで立ち飲み屋をするとき……

リヤカーで全国各地で立ち飲み屋をする知識はおろか前例がないから、まずは自分なりの理論の構築が始まりました。

 

  • どんなところで営業すれば苦情をもらわず、かつ人がたくさん来るか。
  • どんな人にどんなタイミングで声をかけたら客引きできるか。
  • どうすれば盛り上がるか。

とか、色んな事柄を組み合わせて「リヤカーで売り上げを作るための理論」を構築しました(無意識的に)。

 

これは前例がないから僕が作り上げるしかなかった理論ですが、たとえば僕に経営学の知識があったなら、もしかしたら全く違った営業方法をしていたかもしれませんし、知識と重なるところがあれば、その分理論の構築にかけた時間を削減できたかもしれません。

 

 

 

いつも真面目なことを考えれば考えるほど、知識が足りないことを痛感させられたし、なにかある問題に直面したとき、その答えに対しては短絡的な考えしか浮かばなかったのです。

 

 

それで、授業中に何を感じたかっていうと

「こういう知識があれば、こういう側面から考えられるんだ」ってことです。

 

すごく抽象的な言い方になってしまったけど、

 

色んな知識を持ってれば多角的な考え方ができるってことです。

 

当たり前なんですけどね。

 

シャッター街を見るときだって、地理学や経営学の知識があったら全く違う景色に感じたかもしれません。

 

自給自足の生活を目指す村でももっと彼らのために何か知恵を分けてあげられたかもしれません。

 

旅中にずっと考えていた問題の”考え方”を大学の授業で教えられている気がします。

 

 

多方面から物事を捉えられた方が良い 

そういえば石川県の金沢でお世話になっていたTRIBECAというバーのマスター、達郎さんに言われました。

 

 

バーテンダーはボトルのラベルが後ろ向きだってなんのお酒かすぐわかるけど、お客さんはそうじゃない人が多いよね。店員と客は見てる酒が同じでも景色は違う。

 

色んな角度から物事を見れるってすごく大切だし、ときには有利にもなるんじゃないかな。

 

問題解決のときにはそういうのはすごく有効だよ。

 

それに、たったそれだけのことで見える世界も少しだけ広がるかもね。

 

f:id:knmr50:20161006030243j:plain

 

あのときも「確かにな〜」なんて言ってたけど、今になってじわじわとその本当の意味がわかってきたような気がします。

 

 

というわけで!!

結局、僕が旅を終えて大学で感じたことは

 

大学の授業楽しいやん!!!

 

ってことと

「授業真面目に聞いてたら役に立つかも」

 

役に立つかも

 

”かも”

 

ってことです。

知識は新しい経験にも、過去の経験にも予期せぬときにリンクするんだなって思うのです。

だから、”かも”。

 

僕はそんな気持ちになりましたよってお話なのでした。